声を失う覚悟までして受けた手術に意味はあたのか
手術室から予定より8時間も早く戻った夫の喉元は
右耳の下から『U』の字を書くように左の耳の下まで
大きく切り開かれ、その傷を段ボール箱についているような巨大なステープラーで
止められていた。
気道には穴が開いて、看護師さんが小まめに吸引してくれる。
その度、苦痛の表情を浮かべ耐えている夫。
夫の意識がはっきりしたとき、喉の癌は全く切り取ることが出来なかったことを
伝えなければならない。
苦悶の表情で苦痛に耐えている姿と、手術が失敗に終わったことをどう伝えればいいのか、、
心は千々に乱れ、まだコロナ渦で早く帰るよう促す看護師に
『こんなに苦しんでいるのに帰らなきゃだめなんですか!
もう少し落ち着くまでそばにいさせてください!』
泣きながら懇願した。看護師さんは正しく、私はわがままなだけだ。
分かっていても自制できなかった。
それほど、事前に想像して以上の夫の傷の大きさが衝撃だった。
本来、こういう手術になるので、この部分をこのように切開し、、、というような
事前説明があるのが普通なのではと、後から後から病院、主治医に対する不信が湧いてきた。
夫の手術は、もしかしたら、元々切除不能と分かりながら
例えば医学生などに勉強させるために切り開かれただけなのかもしれない。
だから、手術日当日、担当医師名に小腸移植をする予定だった医師の名前が
なかったのかもしれない。
誰一人手術前に挨拶してくれた医師がいなかったのかもしれない。
夫はただ無駄に切り開かれ、晒され、検体として扱われたのかもしれない。
その疑問は、その後払拭されるどころか、どんどん増していくばかりだった。
術後の説明を受けたいとお願いしたが、それが叶ったのは、術後5日経過してからだった。
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