その頃もうお父さんはこの世にいないでしょう

余命宣告 がん

既に主治医に苦手意識を持っていた私は、術後説明に娘の同席を求めた。

主治医、夫、私、娘の4人で向かい合った。
いつものように看護師の同席はなかった。

『○○さんの場合、こちらに来た時点で既にかなり大きな腫瘍でしたので』

第一声はこの言葉だった記憶がある。
そしてこの後、夫と私はこのセリフを診察のたびに聞くことになる。

手術でできたことは、【右鎖骨付近に転移していたリンパ節郭清のみ】

左側のリンパ節は手を付けられず、ならばと咽頭もすべて残したとのこと。
この後は、2週間おきに3回の抗がん剤(シスプラチン)投与と
平日週5日、計35回の頸部への放射線治療が提案された。
2023年2月~4月までの3か月に及ぶ治療。

治療中も当然だが、治療後もしばらくは体力や免疫力の低下による体調不良や
抗がん剤、放射線の副作用が出現する可能性が大いにあり、
何枚にも及ぶ副作用のによる弊害が列挙された用紙に承諾のサインをした。

同席した娘は5月初めに結婚を控え
パパとバージンロードを歩きたいと願っていた。
時期的に治療終了からあまり時間がないことから、
一般的にその頃の父は体力的にどんな状態にあるのかを知りたくて
主治医に尋ねようとしたのだ。

『私、5月の初めに結婚式を控えてるんですけど…』
そこまで聞いた主治医は、

この治療をしないなら、その頃もうこの世にお父さんはいないでしょうね

その場の空気も、私の心も凍り付いた。
この医師には大切な人はいないのだろうか。

余命など聞いていない
この人に決められたくないし、この人達が導き出した夫の命の時間など
知りたくもない。

結婚式という幸せな時間を父と過ごしたいと願う娘に
心無い言葉を投げつたこの若者に言葉を失った。

その後、私は言葉が出なくなり、気丈な娘と
手術直後で声が出せない夫が筆談でいくつか確認をして診察室を後にした。

夫はもちろん、娘はどれほど傷ついただろうと心配顔の私に娘が言った。

『あの人とはまともに話ができないね! でも良かったじゃん! パパの声は残ったんだよ。
手術に失敗してくれたおかげでパパはまた話せるようになる。ねっ、パパ』

娘はいつも私を救ってくれる。

そうなのだ。
夫は、癌と一緒に声を失わずに済んだ。
癌が消えてなくなれば元通りになる。

治療をしなければ3か月の命と聞いてもいないのに教えられたけれど
夫は治る。
あの人たちじゃなく、娘のためにも私が治す。
私は自分に誓った。

 

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